2021年05月22日

地域の未来と脱成長~物語をRe・デザインする

伝統には地域での暮らしの時間がモノに宿り関係性が表現されている

Yoshihiro-Nakano.jpg 文章や講演では「伝統」という言葉を語る。それは、古き良き時代に戻りたいというノスタルジーだと思われがちだが、そうではない。伝統的な道具や技を用いてモノを作っている職人たちはいま現在も存在している。彼らにとって伝統を語ることは、ノスタルジーではなく生存権を語ることである。過去をロマンティックに語っているのではなく、いま生きている証である。地域とは自然と人間の様々な営みが織り成す時間のテクスチャー(織物)である。そこには、消費社会の制度や仕組みとは異なる時間感覚で作られた様々な営みがある。この重層的な時間のテクスチャーが重層的なテクストとして「意味の物語」を作っていた。地域の生活を構成する時間の織物がモノに宿っていて地域の関係性を表現していた。例えば、江戸時代の宮大工が建てた家の柱からは、その技術や作業の様子が伝わって来る。そこには、地域の風土と小さな職人の経済の歴史がある。コモンとしての浜や海等は、同じ土地に7世代は暮らしていなければ見えてこないテキスト・テクスチャーである。

消費社会では生活価値が破壊される

Setsu-Uchiyama.jpg 消費社会とは商品を大量に生産していく社会である。モノには、使用価値と交換価値があるが、消費社会は資本を蓄積していく仕組みで動いているため、使用価値よりも交換価値の方が優先される。経済学が対象とするのは、使用価値や交換価値だが、この二分法では捉えられないものがある。それは、内山節(1950年〜)や渡植彦太郎(18991992)が提案した生活価値。伝統職人業、伝統農業・漁業等、完全に近代化されてはいない半商品的営みが生む文化的な価値である。

 Alberto-Magnaghi.jpgこの生活価値が生まれる背景には、地域の自然・歴史資産がある。それは世代を超えて残していくべきもので、商品が持つ交換価値・使用価値に先行する価値として存在している。存在それ自体の価値が分厚くあったし、分解できない。そこには、イタリアの社会学者、フィレンツェ大学のアルベルト・マニャーギ(Alberto Magnaghi,1941)名誉教授が提案したコミュニティや自然と人間との総合的な重層的な関係や時間がある。

戦後の地域開発が海との関係性、伝統漁業の自尊心を破壊

Hikotarobook.jpg 第二次世界大戦後には、瀬戸内海の埋め立て、企業誘致、宅地開発が起こる。これは、陸の論理であって、海と陸との相互関係が見えなくなる。その延長で1980年代には原発開発計画がもたらされる。「農業・漁業だけじゃ食っていけんじゃろ」と、コミュニティの分断が起こる。伝統的な農林漁業の自尊心も壊されている。自分たちの地域の未来を自分たちで内発的に描けなくなる。イマジネーション、創造力がしぼんでいく。そして、1990年代には過疎化・高齢化によって、地元経済が衰退し、私自身「東京にいけ」と家族からも諭される。こうして「土の人」から「風の人」になった。

セルジュ・ラトゥーシュに惹かれた理由

Serge−Latouche.jpg 東京での生活にあこがれていた部分もあったが、そこで物語が一気に失われ根無し草になった感覚があった。そして、故郷の良さもわかったのだが、自己喪失感が45年と続いた。そのときに出会ったのが、オルセー大学のセルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche,1940年〜)の「脱成長」であった。なぜ、ラトゥーシュにほれ込んだのかというと、彼は、1940年代にブルターニュという独自の文化を持った地域に生まれている。アフリカの地域開発の研究を専門としていたのだが、アフリカやアジアの農村を訪れた時に、もともとあった農村共同体をヨーロッパの目線で遅れていると見なし、近代化することが、自律的に生きていけなくしているのではないかと気づいたのである。

【画像】
中野佳裕氏の画像はこのサイトより
書籍の画像はこのサイトより
アルベルト・マニャーギ名誉教授の画像はこのサイトより セルジュ・ラトゥーシュ名誉教授の画像はこのサイトより

編集後記

 本稿は2021522()13001700に開催された一般社団法人協同総合研究所が行った「第5回社会的連帯経済×協同労働」研究会での早稲田大学地域・地域間研究機構の中野佳裕さんの講演「地域の未来と脱成長~物語をRe・デザインする~」のまとめである。
posted by 情報屋 at 13:30| Comment(0) | 講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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