有機農業の原点を聞くセミナー
高橋俊彰 オーガニック3.0がIFOAMの本部から出されている。有機農業は、認証として広まったが、最新統計でも世界の圃場の1.6%しか有機農業にはなっていない。そして、生物多様性が失われている。有機農業を中心とした農業をさらに広めなければいけないとしてオーニック3.0が打ち出されている。IFOAMジャパンのホームページでも英語版とそれを和訳したものがある。今日は、オーガニック1.0から3.0への経過を見てきた二人のトークセッションをしてみたい。まず、自己紹介と有機との接点をお話いただきたい。
水俣病と一楽照雄さんとの出会いからスタートした有機農業人生
私は海外に技術指導をしようと思って1970年代に東京農大の拓殖学科に入学したのだが、1968年、1969年の頃には近代化の弊害が現れて、学生たちもその問題提起をしていた時の高校生であった。ちょうど、レイチェル・カーソンの「サイレント・スプリング」を読んで、また、水俣病の裁判が立ちあがった当時であり、化学メーカーがこれだけの事件を起こしたんだと。そして、日本農業の基盤もここにあると。そこで、BHCや有機リン剤の弊害が出ていて、これを克服するためにはどうしたいいのかと。ちょうどゼミで『農業聖典』で栗田先生が授業で使われていた。これが水俣問題の解決になると必死になって読んだ。そして、厚木で田畑を借りて実験をしながら大学の4年を過ごし、1971年に一楽[照雄]さんとお会いして有機農業の人生がスタートした。私の原点は水俣と一楽さんとの出会いかもしれない。いまは息子の代で3haを2世代で耕し100世帯に野菜を作って提供している。71歳でまだ現役で百姓をしている。
大学紛争の余波で共同通信を止め世界100カ国を見る中で自給にゆきつく
有機農業の原点には水俣病がある〜ファッション的有機への違和感
高橋俊彰 オーガニック1.0の時代を知っているお二人にとって、若い時に有機農業を志したときの未来絵図と今とでは、どのような違いがあるのだろうか。思い描いた有機農業の未来との違いがあるのだろうか。
魚住道郎 いま参加者の中に徳江さんのお名前が出てきたので、しゃべりにくいのだが、当時は農業よりも工業が近代化を支えるものだという時代背景があった。第二次世界大戦以降、日本は急速に復興しないといけない。敗戦で焦土となったので焼け野原から食料増産をしなければならないし、世界の工業レベルを目の当たりにして、日本が立ち遅れしまっている現実をつぶさに体験して、農業も近代化させようとやってしまったことが、有機物の循環で下肥えや堆厩肥を使っていた有機農業的な基盤があったのにもかかわらず、質よりも量が至上命題となって化学肥料への依存度が高まり機械への投資も始まりトラクターに置き換わって能率がよくなっていったと。質よりも量、労働生産性をあげていくことに日本でなくて世界もまっしぐらであった。けれども、レイチェル・カーソンをはじめ、この近代化のあり方に「まずい」と気づいた人が、1972年にIFOAMを設立し、これではないベクトルで建て直さなければならないと。最初に連帯して会合が持たれたのがスイスで、一楽さんも最初から参加されている。
当時は、日本では、有機農業の基盤を壊していたし、農産物は安くなければいけないとの都市住民の価値観もあって、農民はいつもうだつがあがらない生活で出稼ぎで飯をくわなければならないと。また、見た目の良さで農薬をたっぷりかけなければならないと。その当時の環境破壊、人体破壊には、水銀汚染やDDT、PCBもあったし、有機リン剤の急性中毒もあった。1971年に農薬取締法ができたことはよかったのだが、PCB入りのものをアジアや日本に押し付けたり、モンサントがやっているようなことは戦時中から続いている。ベトナム戦争でもベトちゃん、ドクちゃんも生まれたりして、その悲劇が起きたと。そして、日本の近代化を支えたチッソや昭和電工は、有機水銀を使って、いらないものを海洋投棄して、それが魚の汚染を起こしていった。このアセトアルデヒドは塩化ビニールを使うためのもので、冬場のハウス栽培の被覆材にも使われていた。1970年までチッソが特許を持っていた。水俣病患者の発生を有機農業の原点に据えなければいけないと思っているのだが、このオーガニック1.0のことが継承されず、ファッション的なオーガニックでなんとなく環境に優しいと。若者に受け入れられているのだが、その歴史を知らなければいけないと思う。
提携にあった世直し有機農業の精神がオーガニック3.0と小規模家族農業に反映
オーガニック2.0には、村山さんが関われた。一楽さんは自立と相互扶助の考えをお持ちになっていてそれを提案されていた。それを村山さんが世界理事になられて、なるほど有機ビジネスでの認証の世界もあるけれども、そうではない提携の世界もあって、それが世直しにつながるということを日本の運動を背負って世界にアピールしていただいたと。いまも村山さんのそのお考えに変わりはないと思うのだが、それが、CSA、URGENCI(ウージェンシー)やAMAPにつながっていると。日本の提携との直接のつながりはわからないが、やはり商業主義、モノカルチャー的になっていくことでは世直しにならないもどかしさを現場の生産者、消費者も感じていて、東洋のアジアのちんまりとした取り組みも、これこそが核になると評価してくれていると。だから、小さい農業でいいと思っているし、それが家族農業の原点だと。
1974年に茨城に来たのだが、そのときに見ていた風景はまだ手で苗を競争して植えていた。トラクターもない時代だった。集落には牛や豚を数頭飼っていたり、鶏も飼っていたが、それがその後、畜産も歪んでいった。オーガニック1.0で解決出来なかった流通の側面は2.0になることで解決したが、一般の市民に対しては、有機農業の持っている世直し的な意味が伝え切れずに来ている。その結果が、地球環境の劣悪化を招いている。コロナも畜産についてきて、急にアニマルウェルフェアとか。しかし、これも、もともとこの数十年で家畜の命も歪んでネオニコチノイドや遺伝子操作の時代でこれを許してしまったことがあるのだと思う。オーガニック1.0から3.0まで私の感想を述べましたが、これでよかったのかと。
自然に恵まれた日本の風土が農業の商品化の問題を気づかせない
村山勝茂 自給自足が人を搾取しない生き方であると。3、4年まず、和歌山で4世帯で「耕人舎」を始めたが、いまは180人いる。まさに、自給自足で自分の身体だけでまわっていくと。地球全体に重荷をかけないと。そういう意味では色川はいまだにオーガニック1.0の世界でやっていると。
ただ、それだけでは、ポチポチやっても社会全体に押し流されてしまう恐れを抱いていたので、魚住さんが言っていた国際運動にもかかわって、運動でも少しでもオーガニック1.0の人々が生き伸びるためのスペースの時間稼ぎをしようと思った。
いま、猛烈な速さで農業が商業化していく。ハイテクやなにかにならないような場所をたくさん作ると。
けれども、それには、自分の自給が完成しないといけない。食べること、エネルギー教育全般を小さなコミュニティで自立してやっていけないと説得力がないと。そんなことを人様にいっても聞く耳をもたれないと。こうした[コミューンが]現実に多くあることが、人様の刺激になると。どこかに入ることで、面白くない仕事をしないですむという人生の選択になるだろうと。
運動の方は一楽さんが恐れていた農産物の商品化を巡って進んでいったが、日本はたまたま自然が恵まれていることもあって自然を放置しても浄化してしまうためにあまり気が付かないと。ずっとそれできた。
日本の1.0、つまり、日本の先駆者には福岡さん以外にもたくさんいたのにそれが広がらないうちに科学的エビデンスの方がどうしても一般的には話が伝わりやすい。それが、オーガニック2.0の世界にいくと。先程、魚住さんが言ってくれたけれども、認証団体から来た世界理事の中で私一人がワーワー言っても駄目であって、後半になってやっとそれが、3.0のきっかけになることになっていく。私は生活をわけてしまいましたね。運動と自分の生活と。
日本は流通の基準が厳しすぎるため慣行農家が転換できない
高橋俊彰 有機圃場があまり日本で広がっていないと。国もデータをとっていないのだが、認証を受けているのが0.27%。とはいえ、認証を受けていないのも1%になっていない。なぜ、日本では広がらないのか。面積よりも取り組みそのもが広がっていない。ヨーロッパやアジアでも増えているが、日本で広がっていないのはどうみているのだろうか。
魚住道郎 百姓として自給的農業で生きていきたいとの決意を持たれた村山さんのような人たちはいまもいるが、農業で生きている人にとっては出荷の基準が非常に厳しい。虫で穴が開いていては駄目だとか、ニンジンでも大きいと規格外で単価が落とされるとか。規格が流通で制限されていて、生産者は特に見栄えがよくて、出荷基準が市場で意味合いを持つことから、地域の農家は出荷組合がないとJAに依存しているとある種の共同性を持つためにやむなく農薬を1作あたり24〜48回とか桁外れに農薬を使用していると。
そして、有機でできたとしても受け皿がない。そして、大量に作ることになっているので、一般では受け入れてもらえない。特定の契約栽培がないと安心してチャレンジできない。それと、農薬を使う病気や害虫をコントロールすることに抵抗感なく、安直に使い慣れてしまった。新しい有機に挑戦する意欲、生活への不安もあるのではないかと。
有機給食のような安定した供給先があれば計画生産で食品ロスも減る
ただ、1970年代の旧八郷町で「たまごの会」で5,6軒の農家に声をかけてみたのだが、若造にプロの農家がまけてたまるかと有機にチャンジしてくれた。すると農薬を使わないでできるという記憶、感覚が戻っていまもその人たちは有機でやっている。だから、[川下の]受け皿の存在が大きいのだろうと。私は100〜120世帯とつながっているのだが、自分の自給もあるけれども、安心した計画生産ができる。消費者と運命共同体で作っていくのだと。
この社会でそれが作り出せたら投機的な生産がなくなって食品ロスや単作型のリスクが大きいのがなくなるのだろうと。
生命とつながった本当の豊かさを体感できる空間を各市町村に作る
高橋俊彰 今後の打開策としてどうしたらいいでしょうか。
魚住道郎 若い人には有機の世界は面白いと。儲かる儲からないではなくこんなに面白い世界があったのかと。我々は先発隊であって経験知のある人がそれをつまびらかにして、作物、いきものとのつながりに感動的な世界があるのだと。
私の120軒は閉鎖的になってしまうのだが、それでも、それなりの豊かさがあると。だから、各県、各市町村に有機の伝承センター、公園でもいいのだが、市民・子どもたちの間につくる必要があるかなと。かつて、私らがガキの頃に農地に入ると追い出されると。いまは、そうではなく、よく来たなと。自分たちの食べものが作れる現場なのだと。そして、美味しいと。学校でも嫌いでもピーマンもニンジンも食べる子どもがしかりです。スーパーでは食べられないのが、自分で体験すると自分の中で原風景でしっかりと残ると。わずかの手がかりが有機の世界につなげてくれる。それが、脳裏に埋め込む事ができると思うので。
いま、埼玉大学には農学部がないのだが、学生が来ている。有機農業は学際的なので人とのつながり、世直し、社会運動、微生物とのやりとり、命の輪廻の世界の回転とか。それが日々行われていて、日々、その豊かさを作物や生き物が教えてくれている。彼らが私や家族をひっぱくれる。その連続性で私も生きている。消費者も落ち葉集めで援農に生きますよと。現場を知ってしまうと田圃のくろを歩くんじゃないよというのが、いまはそれを体験させてあげると。すると、ご飯を残さなくなる。村山さんは自給自足を原点にされたが、自分がどう生きているのかを農学部がない学生さんにも伝えることができると。すべての大人に生きる基本は農林水産の現場にあると思うので、森がいい人、里がいい人、海がいい人。どこでも食らいついてもらって、そういう研修できる学校ができると良いと思っている。
森・里・海の腐植をつながる支え合いを
小宮菱一 オーガニック雫石の小宮です。魚住理事長の話はもっともなのだが、世界で動いている有機の運動は、いま、つながりをつくることにやっきになっている。オーガニック・ディストリクト(GAOD=Global Alliance for Organic Districts)は各市町村が牽引している。有機農農産物を消費するホテルや学校給食とが一体となって、そうしたつながりを作ろうとしている。世界で4000〜5000あると担当者は言っているが、日本では、みどりの食料システムができても市町村が動いてないが、それについてどうお考えか。
魚住道郎 以前に腐植がつなぐ森、里、海で、流域でつながるとともに支え合うことをやった。例えば、山が漁師を支えるというつながりをやっていくと。災害についても都市と農村、3.11で地域自給を視野に入れて、県内での企業の社員食堂でも生命、遠方でなく地域での流通を年がら年中やっていく。大都市との契約で災害の救援も含めて友好姉妹都市で近隣の都市住民と地域の流域住民とのやりとりが結ばれたらいいと思っている。小宮さんへの答えになっているかわかりませんが、都市労働者として農村から都市に流入させて見栄えのいい生活を都市でやらせて大都市が巨大化しすぎて、上流部は空っぽになって人々は市街地に降りてきていると。
暮らしの本質を見直さず形だけ小手先で対応しようとしている
村山勝茂 有機農業を広げていくための方策はものすごく広く、生産面では魚住さんのお話をもっと聞きたいのだが、限られた時間の中で他も言わなければならない。なぜ1.0の時代には日本には多くの先覚者がいたのに、なぜ圃場面積でも本当に最低に近いのはなぜか。
基本的には自然の違いがあるが、主に、教育とか生き方とかでそれを学んでこなかった。本当に欧米が良いとすればエビデンスを中心としたそのやり方を徹底して学ばなければいけないのに心情がそれになっていない。3.0を含めて、それをやるにはものすごく重層的な公共的な支援が必要だし、ヨーロッパでは、それは市民が選挙で選んでいる。自分のまわりを良くしているという意識がある。それは教育から来ている。あまりにも基盤が違っている。いま、日本はお金もなくなってきて高い有機農産物も買えない。ネックだらけでどこから手を付けていいかわからないが追い詰められている。経済状況や知的状況も含めてどうすれば自分が生き伸びられるかと。それを運動にしていくか。
教育を変えるとか、給食を変えるとか、どっちが先かというと鶏と卵になるのだが、問題点を抽出して築きあげていかないと皆が言いっぱなしで終わってしまう。オーガニック3.0にしても、小宮さんが考えられているような方法もあるが、欧米はCPAのような支援でなるべくグリーンでやっている。どんどんさかのぼってそういう意識があるからと。
日本は個々に断片的な情報が入っているが、政治や市民生活ではないままで、形だけ似たようなことをちょこんちょこんとだけしている。こうした日本的社会がいいのかと。もし、欧米的な近代化がいいのであればそれを学ばなければならないのが、いずれにしても、非常に中途半端だと。
質問への回答〜オーガニック3.0は小農運動やPGSの積み重ねから誕生
高橋俊彰 事前に6名から質問をいただいている。まず、小宮さん。
小宮菱一 第一はオーガニック3.0がいきなり出てきたのだが、なぜだろうか。第二点は、オーガニックについての団体や研究会が私が調べた限りでは13団体もある。なぜたかだか0.3%でそんなにあるのかと。14,000人なのになぜこんなにあるのかと。そして、参加費用も高いと。
村山勝茂 オーガニック3.0は突然に見えるが2010年からいろんな動きがあった。IFOAMの農業者だけが作るネットワーク。そして、農業関係の学者の組織があり、だんだんと会議を続けて、2011年に韓国でエキスポが開催される中での情報交換会があって、とりわけ、エクスポジションで一気に。自分たちはこれだけ運動をやってきたのに1%、2%のままで終わっているのか。これをつきぬけなければいけないと。IFOAMの姿勢も心もそうであった。そこで、これまで、囚われてきた基準や規格を見直し、また、CSAやPGSにもいろんな萌芽がある。これを精緻化していって韓国のエキスポで宣言をしたと。ユナイドしてソリダリティを高めると。そこに、家族農業も含めると。公共も中央政府も地方政治も含めて全方位でいくと。そうしないと閉塞して大企業だけが美味しい汁を吸うことになると。多くの小農が後ろに追いやられてできないので、このエキスポから始まって2017年のインドの有機農業の世界大会で正式にIFOAMで出したと思う。
組織は一強よりは小さいのがたくさんあることは悪いことではない。ただ運動だけは一緒になろうと思っているのだが、やり方が違うし、立っている場所も違う。まだ、追い詰められていないんでは。私は乱立してもいいと思うのだが。
F2F戦略も開発途上国のPGSもオーガニック3.0の方向性と合致
吉田太郎 EUのF2F戦略はオーガニック3.0が目指す方向に進んでいるのだろうか?。オーガニック3.0が提唱された場は韓国。それ以外のアジアでも中国、インドネシア、台湾、インド等は有機が発展しているように思えるが、そこでのオーガニック3.0の位置づけは?
村山勝茂 F2F戦略は、グリーン・ディールと生物多様性戦略とセットなのだが、これも名前だけで捉えてはいけない。似たようなものが色々となされている。それを、もう少し、わかりやすくするために気候が非常が大事だと前面にだした。気候に的を絞って空気や大気もすべてひっくるめてやらないと追いつけないと。CAPでもいろんなものが積み重なって、気候変動も絡めて、そこからいい食料を作れば医療費もかからないということで名前をつけて出していると。目指している方向はオーニック3.0に進んでいると。
一方、第三世界はオーニック2.0から落ちこぼれた人たちがPGSで必死でやっていて、それに政府がお墨付きを与えている。有機農業で国民の健康を増進しようと一生懸命でやっている。それに近いかたちに目が届くと思っているが、現時点ではオーガニック3.0にはなっていないと思う。
吉田太郎 昨年のIFOAMアジアの主催国がインドネシアでEUへの輸出をターゲットに貿易大臣まで出ていて驚いた。
魚住道郎 有機農産物でも国境を超えてはオーガニックコーヒーがあるが、地域を超えると地力がなくなるのでいずれは循環型農業ができなくなると。国の産業育成にはなるけれども、どうしてもモノカルチャー的な生産方法にオーガニックになるので避けるべきだと私は思う。インドネシアの実態がわからないが、国際分業や有機農産物とて国境を移動させるのは有機農業的ではないと。
園田太嘉雄 バイオマスで多様な資材が必要なのではないか。
村山勝茂 まさに、必要である。その周知共有はIFOAMでもいろんなイベントがあってその地域に必要な技術や資材はレクチャーでやっているので必要だし、既存の組織がやっていると思う。
魚住道郎 気仙沼の漁師で畠山[重篤]さんが広葉樹の森を作っていこうと。フルボ酸の鉄が海の牡蠣、プランクトンを育てると。日本は戦後の復興を目指して広葉樹を針葉樹で密植栽培をやってしまったと。外地の材木に手を出して手つかずの管理の悪い山が崩壊していると。地熱、小水力、自分たちの資源を活かしたエネルギー自給を考えるべきだと。うちの近くでも山のてっぺんに大きな2つの風力発電が建っているが違和感がある。私も太陽熱と五右衛門風呂で炊いている。小さな木材でエネルギー自給して夕方には各家庭から煙が出ると。こうした小さな取り組みが結果として強いと。それが食料の基盤を取り戻していけると。エネルギーも地域自給をしていく視点が大事だと。
高橋俊彰 バイオマスの活用が豊かな国ではないかと。
有機農業を広げるには身のまわりの絶えざるを見直しを
櫻井 オーガニック3.0で多様な層を巻き込んでいくキーワードはなか。安全、安心、顔の見える関係の先にあるものはなんであろうか。
村山勝茂 持続可能性ではなく、身のまわりの絶えざる見直しを入れたい。
魚住道郎 有機の世界は面白いということを子どもたち、退職後の人にも先発隊が伝えていくことだと。先発隊がくたびれ切ったら宝の持ち腐れでおわる。発酵、作物の勢い、多様な生き物と生きている嬉しさを公園や研修場で体験する。閉鎖的な研究機関に委託するのではなく市民に開かれて何がしかのヒントを得られると、やってみないなと提示できる世界になるといいなと。
東間徴 丹波市で農業をやっているのだが、1974年に市島町で運動をやられて、それ以来、40年やってきたわけですよ。実際には産消提携は潰れてしまっている。求める会が解散に追い込まれた。普通の農業者、市民にとっても大きな関心事になっていない。歴史的な運動があったことはあるのだが、それが共有できなかった。丹波市の中でタネから始まるネットワークをやっている。オーガニック3.0に踏み込んだと言われるが、日本は何周遅れか。25%に上げるんだと。いまがチャンスだと。どういう方向性を求められているのか。どんな方策やシステムが求められているのかと。
村山勝茂 日本の提携には長い運動があるが、消費者のリーダーがなくなる、そして、後が継げないケースがたくさんある。それとも、時代が変わって若人が必要としなくなったのか、いろんな問題があると思うのだが、自分の身の周りの生活の絶えざる見直しと先程言ったが、どういう環境で何を食べるかについてあまり皆さんが考えない。それは、洗脳ですよね。マスコミとかテレビとか雑誌とか。持続性をもってどうやったらベターになるのか。それは、環境とか食べものだと。それは、民間だけでできるのか。政府もかまないと無理なのか。問題提起を皆さんがしないので。もちろん、「こうあるべきだ」とは誰もいえないし、そんな資格もない。せいぜい話し合いをして、自分が住むところが農業地域でなかったら、買うものを少し良くするとか。
ヨーロッパの場合はそういうレベルが幼稚園から始まり、小学校では教科書にあり、有機の役割を教わって大人になると。それが議員になって、自分にとって大切な補助金だと大切に使う。それが、日本では突然に「みどりの戦略」がでてきて、そこには、AIであったりして、言っていることがまさに公共化された工業化した視点で、基本的にスタート地点が違う。日本はどうやったらいいのか。そにかく、政治のレベルで、経済のレベルで、教育のレベルでやらないと自分の生活に密着したものにならないと。
魚住道郎 市島町の取り組みが解散されたと。消費者の高齢化もあったのかもしれないが、お母さんが熱心なために家族がほったらかして子どもが嫌気をさして、世代交代が失敗して先細ってしまってということもあるかもしれない。けれども、市島の人たちは西日本アグロエコロジーに切り替えて提携は続けると聞いているし、形としては消滅するがその精神は生きていると。理念や精神は生き続けているし、アグロエコロジーという方法論だけでなく、森・里・海という空間で命の循環がむしろ広範に意識されて新たな運動を作り出すために変遷されたのかもしれないし、いろんな組織があって新旧交代があってもそれを責めても仕方がないのかなと。
私のところの大きな組織も3、4年前に解体したが、消費者集団としては消えたが、多少人数は消えたが食べ続けないと。全体的な規模が小さくなったので事務所と車が維持できないと閉鎖になったのだが、人間関係はむしろ濃くなっていると。私も高齢化しているので、私が命が尽きる頃、先方も命が尽きるのでいいのかなと。彼らは畑にくる楽しみを覚えてしまっている。自分にとっての自給農園なんですよ。
魚住道郎 有機農業運動に込められているのは世直し運動だし、私は東海第二原発の差し止め訴訟もやっている。我々は森・里・海の命の基盤を火山列島だけれどもいつ原発が崩壊するかわからない状況の中で、有機農業の狭いところだけでは駄目なので。耕人舎も初期の取り組みも賛同している。有機農業運動は人のつながりも農法もそうだし、弱者がどこかで生まれて見捨てられない社会にみんなで力を合わせて支え合うと。ゲノム編集や新しい農薬を作ろうという奇抜なことを言い出している農水省の政策で、有機だけで大変身するわけではないので、農水省を悪くさせない努力を課題から読み取らなければならないと思っている。
村山勝茂 日有研は2.0に対して、当初、規格でものすごく反対したが、提携は妥協しないが最終的に基準はやった。けれども、期待したほど広がらなかった。いろんな形でエビデンス的になっているけれども、3.0の世界は身の回りの注意をより健康的に省エネ的に考えるということでは、そんなに違和感はない。しかし、日本の全体の中ではあまり関心がない。自分の生き方が向かない限りは美辞麗句でさえない。何をいっているのであれば終わってしまう。真剣に考える人であれば歴史は違うが私は3.0にきて、1.0で日本の人が言っていることが体現されていると。
波多野豪 村山さんはこうあるべきではないといったがそういう人が少ないのではないか。
村山勝茂 どうやったら肯定的に答えるか。運動として運動が広がらない前にすでにマスコミや教育で専横されている市民があると。程度が低いのではなくて価値の起き方が違う。自分がハッピーであればいいと。国土や水、空気を買えていくことに思い至らない。実生活に結びつかないので実践でやるしかない。
編集後記
これは、2022年4月28日にIFOAMJAPANの主催によってなされたオンライン勉強会の内容をメモしたものである。先日、友人・知人にこのコンテンツをおおくりしたところ、魚住氏にせよ、村山氏にせよ、白髪で「このようなおじいさん誰?大丈夫?」というニュアンスのリアクションを受けた。 私も老境の域に入りつつあるし、もはや私も含めて、魚住氏も村山氏ももはや引退すべき過去の人なのかもしれない。とはいえ、水俣公害の歴史などを飛び抜け、ビジネスとして、あるいは、SDGs的なエコな暮らしとしての、表層的なオーガニックには、私も違和感を覚える。大江正章さんや本野一郎さん、あるいは、折戸えとな博士が存命であれば、このミッションを担ってくれたかもしれないが、有機農業のヒストリーを若い人たちの琴線に響く言葉できちんと伝えることの必要性をつくづく感じた次第である。 本雑文もその一助となれば幸いである。






